首と肩のコリがひどいため、整体に通い始めました。
定番となり得るお店を探して、近所の個人経営の整体院や街中のチェーン店など渡り歩いています。
その中で、整体に限らず「スキルとはどのようにして伸ばせるのか」を考えたため、今回はそれを記事にしました。
私の親族の話
私の親族には、プロの整体師が2人いました。(祖父と伯父)
二人ともそれぞれ開業して自分の店を構えていましたが、施術のタイプはまったくの正反対でした。
伯父の方はツボを押す力が非常に強く、「痛気持ちいい」を越えて激痛に悶えるレベル。そんな私を見ながらニコニコしていた伯父は、きっと根っからのドSでした。
ツボを的確に把握してそこをゴリゴリに攻めてくるので、技術としては確かなものを持っていたと思います。
実際、やみつきになるお客さんも一定数いたようです。
それに対して祖父の施術は、優しく本当に気持ちいいものでした。
「祖父にマッサージしてもらう孫」という申し訳ない構図のまま、私は眠りこけてしまうことも多々ありました。
あれから現在まで、他の整体サービスを経験することもありましたが、祖父の整体こそが私の中で至高です。
祖父と他の整体師では何が違うのか、考えました。
スキルを分解する
ひとことで「整体のスキル」といっても、構成する要素は多岐にわたります。
例えば「背中を押す」という単純な動作に関連する要素は、以下のようなものがあります。
(子どもの頃、祖父に教えてもらったコツを思い出しながら書いています)
- ① 指を当てる位置
- 背骨の中心から、「背骨1本分」左右にそれぞれ離したところ
- 指の腹を当てる向きも重要。親指の第一関節の反り具合は個人差があるため調整が必要
- ② 力を加える方向
- 背骨の中心方向へ向かって押す
- ③ 力をかけていく速度
- 約1秒間かけて、最大強度に到達させる
- ④ MAXで押している時の強度 / 保持時間
- 患者の体から自然な反発が返ってくるところで止めて、約2秒保持する
- 最も経験が必要な部分
- ⑤ 力を抜いていく速度
- 約0.5秒間(一般に思われるより短い)
- ⑥ 力を抜いてから、次に押さえる位置までの移動速度
- なるべく素早く、次の位置に指を移動させる。ここが遅いと、ぎこちない印象を患者に与える。
上記のコツを祖父から伝授してもらったことで、私も素人の中では「マッサージが上手い」と言われることが多いです。ただ、祖父の境地には到底及びません。すべての要素が高次元で、かつ全体の調和が取れていました。
祖父はどのような過程を経て、スキルを高めていったのか。
当然ながら祖父も最初は素人なので、各要素の習熟度を少しずつ向上させていったはずです。
意図的な練習を、習慣によって繰り返す
名著 “Atomic Habits” には、以下のような方程式が登場します。
“Habits + Deliberate Practice = Mastery”
(習慣 + 意図的な練習 = 熟練)
Habits(習慣)とは、意志の力を必要とせず、その行動が繰り返される状態を指します。
行動の心理的 / 物理的ハードルを下げたり、適切な報酬を設定することで、習慣化は達成されます。
これに加えて、Deliberate Practice(意図的な練習)が必要です。
すなわち、漫然とその動作を繰り返しているだけでは、一向に上達は見られません。
何かポイントを意識しながら実践した結果、ポジティブ / ネガティブなフィードバックを受け取り、次に活かす。
質の高いDeliberate Practiceを、十分な回数繰り返した時、その動作は「熟練」の域に達します。
そうして、「次のスキル」の習得に移行することができます。
Atomic Habits には、次のような例え話が出てきます。
- バスケでは、ドリブルをほぼ無意識にできるようになってから、シュートの練習に移ることができる。
- チェスでは、各ピースの動き方を完全に覚えてから、はじめて戦略を立てられるようになる。
スポーツでもボードゲームでも、ある技術を熟練の域まで極めるには、考えるべき要素が膨大にあります。
私の祖父もきっと、整体に関する知識を学びながら無数のDeliberate Practiceを繰り返したのでしょう。
ややスピリチュアルな話となりますが、私の祖父は「気」の使い方も心得ていました。つまり、「患者さんによくなって欲しい」という思いが全身や指先から漏れ出ていて、それが至高の心地よさにつながっていたと思うのです。
おわりに
最近整体スキルについて考える中で、祖父とAtomic Habitsの一節を思い出したことが、今回の記事につながりました。
“Habits + Deliberate Practice = Mastery” は、あらゆる分野に共通する不変の真理です。
実は、私の祖父はもともと証券会社の営業マンでした。
「もっと直接的に、人の役に立っていると実感できる仕事がしたい」という思いから一念発起して、50歳を過ぎてから指圧師学校に通い始めました。当時は1980年代。転職はまだまだ一般的ではなかったと思われます。
その後、学校を首席で卒業し、自宅の近くで開業。70歳過ぎまで現役で働いていました。
昭和7年生まれの祖父の生き方は、令和を生きる私の価値観にも少なからぬ影響を与えています。
ご先祖様の人生に思いを巡らせながら、私も悔いのない日々を送ります。