1年前の気づき
私の家は、信号のない交差点のすぐそばにあります。
住宅街の中にあるものの、主要道路の抜け道になっているために、結構なスピードで走り抜けていく車も少なくありません。
さらに困ったことに、スマホに集中してノールックで飛び出してくる歩行者・自転車を1日に何度も見かけます。
私が現住所に住み始めてからの7年半、少なくとも知る範囲では事故が起きていないことは奇跡と言ってよいと思います。(クラクションはよく鳴っています)
この状況を変えるべく、1年前のある日、意を決して警察署の交通課へ相談に行きました。
詳細を説明した上で「横断歩道を設置して欲しい」と頼んだところ、現地を確認した上で対応を検討すると言ってくださいました。
しかしその数日後、電話で受けたのは「設置不可」の回答。
「現場はたしかに危険な状況だが、既に付近100m以内に別の横断歩道があるため、法律的に新たな横断歩道の設置は難しい」とのことでした。(警察署の方も心苦しそうな様子でした)
落胆はしましたが、同時に「ここが影響の輪の限界か」と悟った瞬間でした。
名著の教え
名著『7つの習慣』では、「関心の輪と影響の輪」という考え方が紹介されています。
- 関心の輪:私たちが気にすること全般
- 影響の輪:実際に自分が変えられること
私達はつい、影響の輪の線引きが曖昧なまま、関心の輪全体に意識を向けがちです。
道行く車がスピードを出しすぎなのも、歩きスマホが無くならないのも、影響の輪の外側のことです。
心を乱さずに生きるには、あくまで影響の輪の内側に集中することが大切です。
私も一時期、「どうか歩きスマホをやめてくれ!」のように、外部に意識を向けては苛立っていました。
それが、影響の輪でやるべきことをやり切った後は、心がいくらか軽くなったのを感じました。
後日談
この話には続きがあります。
半年後、交差点の電柱に「飛び出し注意」の標識が追加されたのです。
おそらくあの時の警察の方が手を回してくださったのだと思われます。
横断歩道は無理でも、できる範囲で動いてくださったことに、胸が熱くなった瞬間でした。
標識の設置は小さな仕事かもしれませんが、将来の誰かの命を救うかもしれません。
こういったひとつひとつの積み重ねが、世の中を少しずつ良くしてきたのだと思います。
この経験から改めて思ったのは、
- 見えないところで「社会をより良くしよう」と動いている人がいる
- それに気づく心の余白を持っている自分でいたい
ということです。
最後に、心穏やかに生きるには、影響の輪を見極めると同時に、無力感を抱かないことも同じくらい大切です。
今回の「標識の設置」という成果は、私ができる範囲で行動をとったからこそ実現したものでもありました。
この記事を読んだ方が、何かのときに「自分の影響の輪はどこまでか?」と立ち止まって考えてくだされば嬉しいです。

